なぜミシュアルがここまで悩まなければならないの? 彼は何も悪いことはしていないのに。
馴染んではくれない息子に苦悩する姿を見ていると、メリエムは苛立ちで頭が割れそうになる。
ルクマ、わかっているの? ハツコが死んでミシュアルがどれほど悲しんでいるのか? 愛する人を失うという事がどれほど辛い事なのか、あなたにわかる?
戦争で家族を失ったメリエムには、拗ねたように我侭を貫こうとする瑠駆真の態度がどうしても許せない。
自分こそが世界一不幸な人間なのだと言わんばかりの傲慢な態度。自分がどれほど幸せな環境に育ち、どれほど愛されているのかも理解していない世間知らずなおバカさん。
本当に、どうしてあんなロクデナシがミシュアルの息子だったりするのかしら?
だが、そんなバカ息子にも、同情したくなる一面がある。
ミツルという女性に想いを寄せ、だがその想いは報われてはいない。
美鶴の名前が出ると、瑠駆真は豹変する。たとえ天地が逆さまになろうとも、美鶴だけは決して離すまい。その執念とも言える愛情を、実はミシュアルは、そしてメリエムも、喜ばしい感情だと思っている。
誰に対しても背を向けて捻くれていた頃の瑠駆真。そんな彼が自分以外の存在に興味を示し、愛情を感じているのなら、それは歓迎すべき感情なのかもしれない。
「ミツル、という女性が、キーなのかもしないね」
足首を使って優雅に反転する。その仕草の一つ一つに王室の気品が漂っていると、メリエムは瞳を細める。
「だが、ルクマばかりか、まったく関係の無い人間までを巻き込むような真似は」
「勘違いしないで」
関係的には養父という立場にある人間の言葉を、メリエムは途中で遮った。軽く右手をあげる。
「巻き込むなんて事はしない」
ゆっくりと、噛み砕くように言う。
「ただ、彼女の意思に反するような事がなければ、という話よ」
瑠駆真は、美鶴から離れたら、また昔のように戻ってしまうのかもしれない。ならば、美鶴が傍に居るというのなら。
メリエムは胸いっぱいに息を吸った。その時、扉が外からノックされた。
ツバサは廊下の向かいからやってくる人影に足を止めた。
「あ、シロちゃん」
呼ばれたシロちゃん=田代里奈も、同じように足を止める。
「ツバサ、まだいたの?」
「あ、うん」
「こんな時間までいいの? 来週、模試があるんでしょう?」
「あぁ、うん、大丈夫。カテキョーの先生が来るまでには帰るよ」
「そう」
そこで会話は途切れる。
なんだろう。ツバサはなぜだか重苦しい雰囲気を感じ、堪らず口を開いた。
「あのさ」
「何?」
「えっと」
口を開いてはみたものの、特別な用事はない。
私、なにやってんだろう?
何も話題が浮かばず瞳を泳がせる相手に、里奈は少し口元を緩ませた。
「蔦くん、元気?」
「え? あぁ」
「ごめんね」
「え?」
「私、全然ツバサの気持ち、知らなかった」
里奈と蔦との関係を気にしている事を、ツバサは正直に話した。
気にするのも女々しいが、気にしているのに気にしていないフリをするのも、やっぱり情けないような気がする。
もっと、自分に正直にならなくちゃ。
兄に会って、いっぱい話して、ツバサはそう思うようになった。
里奈は、そんなツバサの話を、目をクリクリさせながら聞いていた。
「私が勝手に嫉妬してただけなんだけどね」
そう締めくくる横で、里奈は呆けたように、だが少しだけ考え込むように俯いた。
「そうだったんだ」
まずそう一言。
「全然、気付かなかった」
そうして、さらに頭を下げる。
「ごめんね。私、何にも知らなくって。ツバサにも悪い事しちゃって」
「そんな事ないよ」
「ツバサ、私といると、辛かったでしょ? 蔦くんの元カノだもんね」
「そんな事は」
無いワケでは、なかった。
「無理しなくていいよ」
「え?」
「私と話をするのが嫌だったりしたら、別に私の事、無視してくれてもいいし」
「そんな事しないよ」
ツバサは慌てる。
「そんな、シロちゃんの事が嫌いだなんて」
むしろその逆だ。里奈の事も大切だったから、だからツバサは辛かったのだ。
「シロちゃんと一緒にいると楽しいよ。バレンタインのチョコを一緒に作ったのだって、楽しかったし」
「そう」
里奈は愛らしく笑った。
「ありがとう」
そう言ってくれたから、だからツバサはこれからも里奈とは今まで通りうまくやっていけると思っていた。だが、それ以降、なんとなく二人の関係はギクシャクしているような気がする。
表面的には何でもないようなのだが、なんとなく会話が弾まないというか。不愉快ではないのだが、心地良くもない不可思議な風が二人の間を流れるようになった。と、ツバサは感じるようになった。
「金本くんの事も、ごめんね」
唐草ハウスの廊下。他には誰もいない。
「美鶴の事も。やっぱり自分の事なんだから自分で解決しなくちゃいけないのに、なんだかずいぶんとツバサに頼ってしまってたよね。これじゃあ、金本くんに怒られても仕方ないか」
「そんな事ないよ。金本くんの事だって、私は別に」
「ううん、いいの。これからは自分で頑張ってみる事にしたから」
「え? 自分で?」
目を丸くするツバサの横を、里奈はゆっくりと通り過ぎる。
「自分でって、それ、どういうっ」
「ねぇ、ツバサ、ちょっとコレ手伝ってよ」
廊下の奥から一人の大学生が顔をのぞかせる。
「え、あ、う、うん」
慌てて頷き、里奈を振り返る。
「ねぇ、シロちゃん」
「ほら、呼ばれてるよ」
里奈はいつも通りの柔らかな笑顔を向ける。そうして洗面所へと姿を消した。
やっぱり、悪いのは私、なんだよなぁ。
用事を済ませた後もなんとなく帰る気がせず、ツバサはぼんやりと縁側で空を見上げていた。
四月に入ってかなり寒さは和らいだが、それでも少しだけ肌寒い。
鈴さんとお兄ちゃん、ここでこうやって星空を見上げてたのかな。
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